ヨコハマへINDEX of 武松事業デザイン工房


some reasons for a proposal

開港150周年の年は、あまり評判のよくなっかった博覧会と、唐突な前市長の辞任との記憶を残して暮れていきました。

そもそも港という空間から縁が薄い地域の方が、はるかに面積を有する「横浜市」という行政区を単位に、開港を祝うということ自体に矛盾がありました。しかし、その矛盾を押して博覧会を行なったことが、一方で都心部に立地する地域企業の体質を露呈したようでもありますし、その一方で、郊外区には、新しい人々の繋がりが生まれつつあることがわかった…そういう意味においては決して悪いことばかりではなかったようにも思えます。

横浜は、富国強兵の時代から、わが国の近代においては優等生の街でした。一億総中流の時代にあっては、その人口集積力によって、他の都市を圧倒してきたという側面もあります。しかし、時代が変わろうとしていることは明らかです。
安定した就業の確保ということがなかなか難しくなってきた今、いくら集積力を誇ったところで、みなの消費力は減退していく。350万人近くの居住者を抱える都市に、どれくらいの総合病院があり、デイケア施設があり、託児所があるのかという問題もあります。

本当は、開港150周年を祝う前に、この開港150周年以降をどう乗り切っていくのか、それを考えていかなければならなかったのでしょう。
なにしろ、これまでの横浜の力の源泉となってきたもの、そのほとんどすべてが時代遅れのものか、崩壊の危機にあるのは、事実です。

行政の施策を問う前に、地域企業の担い手たちも、就業者も、まず自分の現状を省みて、あしたの準備を始めていくことが肝要です。みな、自分たちの人生。人任せにはできないのですから。

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横濱という夢

85%の衝撃

かつて、わが国の貿易額の85%を占めたこともあるという横浜港。ご承知のように、この港の繁栄ぶりが今日の横浜をつくってきました。
しかし、この繁栄こそが、私たちの力を奪ってきた側面もあることを忘れてはなりません。
同様に、映画やドラマに数多く取り上げられてきた街だからこその役得もあれば、それ故に、私たちが失ってきたものもあります。

顔無しの街

都市の個性とは

知らぬ間に横浜は個性を失ってきました。それは外国船の入港が少なくなったからでも、進駐軍がいなくなったからでもありません。いわゆる「地方」がそうであるように、行政の予算(支出)によって経済が回る都市になってしまったからです。これからの時代、「民」が自立出来るかどうかが厳しく問われていきます。

時代の波

押し寄せる時代の波

横浜だけは絶対に大丈夫だ…そう思われている方はほとんどいらしゃらないと思います。しかし、その一方で、次の時代への準備も、ほとんど手つかずの状態になっていらっしゃる方が大半だと思います。集団を編成する能力、それを集団として動かす能力よりも、いかに個人の能力を発見し、それを個人のままにのびのびと働かせてやるか…いずれにせよ、この半世紀ほどのセオリーからすれば、180度、まったく反対の方向に向けといわれているような時代です。

「質」

「質」が問われる時代に

物を動かして収益を得るということが主流の時代には、横浜は文字通り優等生でした。中流といわれた人々の消費活動が活発だった時代においても、そうでした。
しかし、これからも、その時代において優等生のままでいられるのかどうか…
まだまだ150年足らずの横浜、特に都心部には、基層となる文化は成熟しておらず、時代ごとに表層を塗り替えながら今日を迎えています。一方、郊外区においても、もともとあった歴史とは脈略のない、新たな都市像が与えられて数十年の時間しか流れていない…こうした街ほど、大きく時代が変化するときには弱いものです。